top of page

『聖夜花』~四龍島Christmas 2~

 凍てつく星々がいまにも天から降り注いできそうな夜だ。

 賑わう色街から山の手へと上がれば、酒気に温められていた体が、いつの間にやら、す、と冷える。

「寒いぞ、着ていけ」と仲間がよこしてくれた上着を、やはり羽織ってくるのだったと飛は苦笑した。

「邪魔をする。『白龍』」

 ひらりと乗った庭木の枝から、二階の窓のうちへ身軽にとんで入る。

 花路の猛者の印である漆黒の袍。腰には褐色の帯。

 必ず立ち寄れと命じられて、屋敷を訪れたのだった。

 酒気とは言っても、いささかも酔ってはいない。

 船主組合の顔見知りからすすめられ、ほんの一杯口にしただけだ。

 これほど冷えるならもう二、三杯つき合うのだったと後悔しつつ、訪ねた相手を、ぐ、と仰ぎ見た。

『白龍』マクシミリアン。

 銀糸の髪、

 銀灰の瞳。

 まるで今宵の星を集めて人の姿にしたようなと、凄艶な美貌に束の間、目を奪われる。

「聖なる御子が伝い歩きをはじめる時分になってあらわれたな、花路」

 待ちかねたぞ、と会うなり責めてよこされた。

 色街をさんざん歩きまわった靴で主の私室に立ち入りつつ、飛は、ふ、と笑んで応じる。

「冷えた体を温めてもらおうと大勢の客が詰めかける晩だ。早くあらわれろと求めるほうに無理がある」

 駄々をこねないでもらいたいと告げると、マクシミリアンが「ほう」と愉快そうに目をほそめる。

「冷えた体を持て余す厄介な客が、山の手あたりにもあるとは思い至らないわけか」

「温まりたければ物ぐさをせず、妓楼酒楼までみずから足を運ぶことだ、『白龍』」

 ところで用件は何、と問いかけようとしたところで、卓子の上の包みが目についた。

 薄紙に包まれた贈り物のようである。

 風にあおられた包み紙のなかに、美しい帯が見えている。

 濃紺に銀砂子。

 上等の飾り帯だ。

  ……まるで、いま仰いできたばかりの夜空のような。

 そう思い、ついで「この男に似ている」と、ふと感じた。

「佳い品だ」

「贈る相手は誰と、気にかけないわけか」

「いや、別段」

 さらりと吐いた言葉のうちに、嘘はないか……

 凍てつく星が胸に堕ち、ちく、とどこかを刺された心地に一瞬、気を取られたときである。

「『白龍』さま」

 部屋のおもてに、かぼそい声がした。

 おや、と廊のほうを見やって、さては夜伽かと飛は思いつく。

「どこへ行く、花路」

「戻る。女を呼んだのなら、俺は邪魔だろう」

「とも限らん。〃龍は花を負い、花は龍を負う〃。西里主人と色街の頭とは、いろいろを分かち合う仲だ」

「戯れ言を」

 腕をつかまれ「ふざけないでもらおう」と振り払ったが、

「花路」

「放せ、マクシミリアン」

「深夜、主の寝台に呼ばれもしない女が近づいたとして、遠慮なく抱くがいいとすすめるほどに白龍の街は平和か」

「何?」

 まさか刺客か、と驚き、即座に身構えた。

 下がっていろとマクシミリアンに強いられ、卓子の陰に身を低くして隠れると、

「不躾を、お許しくださいませ……」

 しずしずと裙子の裾を引き、女が部屋に入ってきた。

 侍女の衣装が洋灯の明かりに浮かび上がる。

 豊満な体つきの、若く、美しい女である。

「わたくし、先月からおそばに上がっております侍女の、麗麗と申します。

お美しいお姿を拝見するにつけ、この気持ちをどうしても抑えられず……ついに、はしたない真似に及びました。

なにとぞ一夜限り、このわたくしを……」

 言うやいなや、白い手をみずからの懐にすばやく差し入れた。

 飛は迷わずとんで出る。

「危ない!」

 華奢な相手を羽交い締めにし、その腕を少々乱暴にねじり上げる。

「きゃ……」

 乱れた衿からこぼれかけるのは、豊かな乳房だ

 手にも懐にも、刃物はない。

 くっくっ、とマクシミリアンが嗤い声を吐いた。

「危うい得物を取り上げようというなら、女の胸を削ぎ落とすことになるぞ、色街の頭」

「どういう、ことだ」

「似たような〃刺客〃が、このところ月に一人二人はあらわれる。人肌を求めたくなる冷気のせいか、はたまた西里の平和のせいか。

ともあれ、せっかくの聖夜に無粋な真似をしてくれたことへの仕置きはすんだ」

 放してやれと言われて、女は羞恥に顔を伏せ、胸もとを隠して逃げ去った。

 呆れて立ち尽くす飛である。

 つか、とマクシミリアンが歩み寄ってきた。

 しなやかな手指がやにわに腰のあたりにのべられて、

「何を……っ」

 器用に帯の結び目を解くその手を、ぴしりと容赦なく打った。

 床に落ちた帯を踏みにじるマクシミリアンが、卓子から銀砂子の一筋を取ってよこし、

 「代わりをやろう。似合いだ」

 おまえに似合いの色だぞ、と。

 押しつけられて、拒むべきか否かを迷うのは、何も今宵がすべてを許したもう御子とやらにゆかりの夜だからではないだろう。

「あんたは、俺がそれを、ありがたがると思うのか。マクシミリアン」

「喜ばないと言うのなら、強いてでも喜ばせるまでだ。花路」

 銀灰の双眸がこちらを見下ろし、冷ややかに笑んでいる。

 天には星々が瞬いている。

最新記事
アーカイブ
bottom of page