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『龍ノ年・・・四龍島間奏曲』

 四龍島西里、山の手の白龍屋敷。

 屋敷主人の姿を求める途中、飛は二階の廊でふと足をとめた。


「居候どの、ここで何を?」

 回廊の欄干にもたれて、クレイ・ハーパーが物思いに耽っていた。


「やあ、花路の頭くん。マクシムなら部屋にはいない。朝から南荘だよ」

 日ごろ明るい彼にしては屈託のある面持ちだと、飛は気にかけた。


 すっかり屋敷の執事見習いのようになっているクレイは、つい先日も会議の席で、万里を助けて働きまわっていた。

 万里が強いるわけではない。

 マクシミリアンが友を便利に使うのである。


「まったくマクシムのやつ! いったい俺をなんだと思ってるんだ。会議を手伝ってやったら囲棋の相手をするって約束したくせに」


 君に愚痴っても仕方がないけれど、と。

 クレイは長々と溜息して頬杖をつく。


 季節は冬で、もう幾日かすると年が改まる。

 中庭の枯れ芭蕉が風に吹かれて、寒々しい音を立てていた。


「このあいだの会議の日、実は俺の誕生日でね」


「誕生日……生まれた日を祝う習いがあると聞いている。四龍島では年が改まると同時に年齢を重ねるが」


 クレイが懐かしそうに目をほそめる。


「俺は十二月十二日が誕生日で、居留区にいたころは無理やりマクシムのところに押しかけて、一緒にお茶をしたもんだった。ケーキ、クッキー、プティング…… あいつが甘いお菓子を、これっぽっちもうまくなさそうに口に入れてたっけ」


 楽しかったなぁ、としんみり呟くのを聞いて「ふ」と微笑む飛である。


「祝いのひとことも口にしない『白龍』の様子が目に浮かぶ」


 そのとおりさ、とクレイが笑うのへ、

「かわりに花路が、居候どのの生誕日を寿ごう」


 拱手して祝いを述べながら、あの男の〃誕生日〃とやらはいつだろうと考えた。


 そういえば、と思い出す。


 昨年。

 本土、紅海。

 雨の外人居留区。


 眠り薬を飲まされ、船に乗せられて、灰色の洋館へと連れ込まれた。



〃おまえは、わたしのなにをも知らない。

 わたしは、おまえのなにをも知らない〃



 長く『白龍』の居室であったという部屋に立ち入った。


 陰鬱な景色の高窓。


 暗い色の絨毯。


 書物で埋められた本棚。


 ずらりと並ぶ薬瓶。


 卓子。


 寝台。


 この灯りの下で、夜ごと彼はどのような想いを抱えて過ごしたのだろうと思わせる、古めかしく豪奢な吊燈。


『白龍』の養育係を務めた王老人が言った。


「あのかたの胸に溜めておられた想いの幾つかは、よくよく捜してみれば、部屋の隅にこぼれ落ちたままになっているやもしれませぬ……」


 ひとつくらい拾って西里へ帰るかと質され、答えられなかった。


 いまとなっては、懐かしいようでいて、しかし到底忘れがたい鮮烈な記憶。


「辰チェン……」

 呟くと、クレイに聞き咎められた。


「チェン? なんだい?」


「『白龍』の、おそらく生まれ年だ。本土伍家で戸籍を検めた際、王老人がその年から居留区に籍を移して『白龍』の養育に当たったと聞かされた」


「ああ、辰年か。四龍島の『龍』が辰年生まれだなんて、いかにもマクシムらしい」


 できすぎで小憎らしい、と。

 悪口を吐いて機嫌を直したらしいクレイ・ハーパーが「おおかた辰の日の辰の刻生まれに違いない」と言って肩をすくめる。



「盛大に誕生日を祝ってやったら、さぞかし嫌な顔をするに違いない。一緒にどうだい?」

 訊かれて飛は「一口乗ろう」と戯れた。


 …… 俺はいま、あの男の想いの一端なりとも知るだろうか?


 どうだろうと考え「いや」と首を振る。


 おのれの出自に惑わされ、苦悩し、冷たい雨に打たれつつ争ったあの日から、なにも変わりはしない。


 惹かれてならない。

 

 手放せない。


 底知れないからこそ、探りたい。


 実の名、過去、生まれ年なぞ、些末なあれこれを気にかけるのは、つまり意中の相手の正体を見極め、確かに繋ぎとめたいと願うから。


 なんのことはない。執着している証拠だと。

 苦笑するところで、


「あれっ。マクシミリアン?」


 クレイの呼び声に、はたと背後を振り向いた。


 銀髪銀眸の龍がいつの間にやら姿を見せている。

 南荘から戻ってきたらしい。


「花路」


 呼ばれて「おう」と応えた。


 クレイ・ハーパーが勇んで教えた。

「花路の頭と、おまえのバースデー・パーティーを企画していたところだよ」


 ゆったりと歩み寄りながらマクシミリアンが「く」と嗤った。


「ほう…… 西里の無事を何より好むはずの色街が、珍しく厄介事を企むものだ」


 いったいどういう風の吹き回しだと、意地の悪い声音で問う。


「性悪な主を喜ばせようというのなら悪手にもほどがある。日ごろの意趣返しだとするなら、平凡ながらもまずまずの手か。ときに、その宴には主役への格別な贈り物が必要だということをわきまえているか?」


 端麗この上ない様子でたたずむ龍が、しなやかな手指をよこして、こちらの髪に、つ、と触れながら、


 ……何をよこす? 花路。


「この世に生を享けてよかったと、西里の『龍』を歓喜させる品をせいぜい見繕うことだ。楽しみにしているぞ。本土北梨県桃里村、玄シャン家に籍を持つ…… 戌シェイ の年 生まれの、飛蘭」


                 [辰年快楽]



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